わこうです。
ちょっとマジメな記事を書いてみます。
マクロビオティックを始めて5年。
完全にお酒をやめて約9ヶ月。
当時、ピークで96キロあった体重が、現在は73キロ。
ジーンズも4インチ小さくなりました。
もともと親譲りの高血圧はまだありますが、おおむね身体は調子イイ感じです。
やっぱり、食べものが整うっていうのは凄いことなんだなーと、
あらためて思ったりするわけです。
俺自身、マクロビオティック、無双原理、玄米食、陰陽五行と出会って、
考え方、価値観、ひいては人生観がだいぶ変わった感じです。
過去記事にたびたび書いてきましたが、とにかく生まれつき短パラだった俺。
トラック運転手時代は、荒くれの人たちの中にいたこともあり、いつも喧嘩上等。
喧嘩で死ねたら男の華。
男の人生、太く短く。
がモットーでした。
そんな俺が、桜沢先生の思想に触れ、無双原理を知り、
身体も精神も大きく変わって、今は平和が第一。
感謝感謝で生きているわけです。
人生って、どこでどうなるかなんて、本当にわからないもんですな。
たぶん、昔の仲間にこんな話をしたら、「頭おかしくなったのか?」と心配されるか、
腹抱えて大笑いされるかのどっちかだと思いますよ。ホント。
だから、俺にとって、無双原理や玄米食と出会ったことは、
本当に大きな出来事で、すごく影響を受けているし、これからも続いていきます。
だけど、それだけではないと思うのですよ。
それが絶対ではない。
ストイックに、基本食(玄米と味噌汁)だけで暮らしていくこともできますが、
やっぱりそれだけじゃないと思うんですよ。
「まくろび庵」という看板を掲げておきながら、こんな事書くのもアレなんですが、
理念は理念として大事にしつつ、社会との調和をはかって、初めてひとつというか。
そのバランスが大事だと思うわけです。
5年もこういうお店をしていれば、
いろんな方と出会いますし、いろんな情報が入ってきます。
でも、自然食、マクロビオティックに囚われすぎるがために、
社会との調和ができない少数派の人たちになってしまったら、
俺は本末転倒だと思うんです。
添加物タップリの食べ物を作るメーカーはホニャララとか、
子供のためにならない食品や製品を作っている、販売しているのがホニャララだとか、
環境を破壊するような企業はホニャララだとか、
そんな単純な二元論では済まないのが社会です。
たしかに、それはそれで大変な事だけども、
添加物タップリの食べ物でも命はつながるし、
そういう企業も日本経済を支えているわけだし、社会を構成しているわけです。
だって単純に、俺だって普通に経済活動をしないと生きていけません。
無双原理を包含しつつ、しっかりと社会と調和して、
逆に、どれだけ社会に必要とされる人間になれるか、
愛される人間になれるか、尊敬される人間になれるか、
そこがミソだと思うんですよね。
声高に、「玄米は素晴らしいぞー!」と叫ぶより、
社会から愛されている人が、実は玄米食だったとか、
無双原理や桜沢先生リスペクトでしたっていう方がカッコイイと思うし、
そう生きるべきだと思う。
俺が、最近魂が震えるほど感動したマンガ、
「バガボンド」の井上雄彦先生も、実は玄米食だっていうじゃないすか。
そういうのがカッコイイ。
玄米食をやって、健康になることがゴールじゃない。
健康は、ただの通過点であり、自分を補完する一角にしか過ぎない。
大事なのはもっとその先の、「健康な自分で何を成すか」だと思うんです。
これは、マクロビオティックを始めたころから、
ずーっと変わっていない俺の思いです。
だからといって別にでかいことをやれって言っているんじゃなくて、
自分の身近な家族、友人たちや、地域、コミュニティの中で、
調和して、尊敬しあって生きられたら、それで上等だと思うんですよね。
俺は玄米食に理解のある人たちだけの小さな世界で生きるのはイヤだ。
カルトな集団と変わらない。
そうならないために、毎日玄米を炊いています。
矛盾しているように感じるかもしれませんが、
俺の中ではきちんとつじつまが合っていることです。
俺はまだまだ非力ですが、しかし、社会と調和して、社会に何かを成したい。
そんな思いで日々過ごしています。
常々思っていることを、なかなか言語化できなくていたんですが、
思い切って記事にしてみました。
うーん、やっぱりむずかしいなー。
伝わったかな。